アルゴリズミック・コンポジションと芸術

自宅に戻ってテレビをつけると、たまたまNHKの「スコラ」を放送していました。

現代電子音楽の最終回だったらしく、アルゴリズミック・コンポジションを取り上げていて、コンピュータのプログラムで計算した順番に音を鳴らすとか、人間の脈に合わせて音を鳴らすと言う前衛的な音楽を取り上げていました

僕はこういう音楽は好きになれないし、時代が受け入れるかと言うと、それはないだろうなあと思います。それはアヴァンギャルドで意味わかんないからとかいう野暮ったい理由ではなくて、芸術の目的を逸脱してると感じるからです。

僕は芸術と言うのは窮極的にはそれに触れる人の心をわしづかみにして動かすーー感動するようなものを生んで残していくことだと思ってます。感動すると言うのは心が動くと言うことですからとても情緒的な活動です。

感動を「音楽」という形で実現するためには音は少なからず意味を持った有機的な連関であることが必要です。音楽は感情を持った音の波(sequence)ですし、その波が人の心をわしづかみにしていくと思うからです。

音楽、ことに西洋音楽の潮流を前提にすれば、ロマン派以降で形式が崩壊し、ワグナーで和声が解体され、シェーンベルクで調性が崩壊し、現代に至るととうとうリズムまで崩壊するようになって、音の波を作って人を圧倒してきた音楽がだんだん音の「羅列」になりつつあります。音列同士に意味を持った有機的な連関がない。その意味で、僕は音楽はだんだんと音楽から離れつつあると思っています。

だから、アルゴリズミック・コンポジションのような自動演奏はどんな講釈を説いても結局聴く人間にとって有機的な音の波に感じられない以上、音楽として受け入れることは難しいし、ましてや心をふるわせることはいっそうに難しいと思います。僕は無機質な音の羅列で人の心を動かす方法を知らないので、アルゴリズミック・コンポジションの類には手を出していません。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
LINEで送る
Pocket
[`evernote` not found]

コメントを残す