技術と感受性のどちらをより養うべきか、という議論についてです。身も蓋もない話をしてしまうと「どちらも養うことが重要だ」と言えます。ここでは感受性を重視する考えの人、技術を重視する考えの人が、それぞれどのような点に着目しているか、またそれぞれの立場の人がバランスを取るために、どのような観点が必要かについて述べます。
感受性を重視する考え
感受性を重視する立場の人は、音楽を始めとする芸術が「表現の手段」であることに着目しています。人間は「感情の器」と言われるように、心を持つことで、自分が経験する出来事や物事を感じ取って味わうことができます。こうした中で自分の内側から湧き出て渦巻く、喜びや怒り、哀しみ、楽しみと言ったさまざまな情念は、心の外側に出す――表現することで、初めて自分以外の人々に伝えることができるようになります。感受性を重視する立場の人々は、泉がなければ川が流れないように、感性が表現の源泉であることを理解しています。よって、自分の中に表現したいものを見出し、それを形にする、そのために必要な技術を身に着けるという順序になるわけです。これはあらゆる芸術表現に共通しています。
技術を重視する考え
技術を重視する立場の人は、「人間の感動は技術によって生み出されている」という点に着目しています。「芸術」を表す英語の”art”は、ラテン語の”ars”(アルス)に対応する訳語で、”ars”はギリシャ語の”τεχνη”(テクネー)に由来しています。”τεχνη”は「人の生み出すもの」、英語で言う”technique”「技術」を指します。”art”を「芸術」と訳したり「技術」と訳したりするのは、根本ではその表すところがつながっているためです。例えどれだけ豊かな感受性を持ち、発想力があったとしても、それを伝えるに相当する腕がなければ、人の心を揺さぶることは出来ません。技術を磨くことを重視する人は、この点に注目していると言えます。
感受性を重視する人に必要な視点
感受性を重視する人は、ともすると技術が置き去りになりがちです。どれほど豊かに世界を捉える感性を持っていても、それを表現する力や能力がなければ人に伝えることは出来ません。これを楽器の演奏についていえば、自分の思い描く通りに楽器を鳴らせないということになります。自分が理想とする表現と、実際に出来る表現との間にギャップが生まれ、悩むことになる可能性が出てきます。よって感受性を重視する人は、理想の音を理想通りに響かせるために、どのような場合に何をすればよいのか、常に理論を学び、その通り実践できるよう練習を繰り返すことが求められます。
技術を重視する人に必要な視点
技術力を重視する人は、その腕が既に周囲の人から認められる存在となっていることでしょう。しかし技術の上達に固執するあまり、ともすると技術が表現の手段であることを忘れがちです。技術を誇示すること自体が目的である場合を除き、表現における技術は、あくまで手段に過ぎません。現代の私たちが「芸術」と呼ぶものと単に「技術」と呼ぶものをおおよそ区別しているであろうこと、それは、表現する人が「伝えたい」と思う何か主観的な情念があるかどうかです。いくら卓越した技術があっても、その向こうに情念が感じられないと、人間は圧倒されますが感動しません。よって技術を重視する人は、自分が表現を通して伝えたいことと常に向き合うことが求められます。
技術と感受性とは、車の両輪のように、切り離せない存在です。これは世に表現と呼ばれるものの全てに通じていることだと言えるでしょう。どちらもバランスよく重視する必要があります。